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DNA複製の起点と分配に魅せられて

平賀 壯太熊本大学 名誉博士

平賀 壯太
法政大学 特任教授
  • 略歴

    1936年
    新潟県生まれ
    1960年
    金沢大学理学部生物学科卒業
    1965年
    大阪大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士
    1965年
    京都大学ウイルス研究所化学部門 助手
    1968年
    京都大学ウイルス研究所遺伝学部門 助手
    1970?1972年
    スタンフォード大学 特別研究員
    1984年
    京都大学ウイルス研究所遺伝学部門 助教授
    1985年
    熊本大学遺伝医学研究施設 教授
    1993年
    熊本大学医学部附属遺伝発生医学研究施設 教授
    2000年
    熊本大学発生医学研究センター 教授
    2002年
    京都大学大学院生命科学研究科 非常勤研究員
    2005年?2008年
    京都大学大学院医学研究科 非常勤研究員
  • 受賞等

    1998年
    American Academy of Microbiology名誉会員
    2000年
    日本遺伝学会の学会賞「木原均賞」受賞
    2009年
    日本遺伝学会名誉会員
    2009年
    熊本大学名誉博士
  • ウェブサイト

    平賀壯太のホームページ

油絵と昆虫採集

生まれ育った新潟県六日町(現・南魚沼市六日町)は、山に囲まれた盆地です。街を出て野山に行き、魚や昆虫を捕まえたり、フクロウのヒナを見つけて育てたり、毎日が楽しかったですね。小さい時から絵を描くのと、動物が好きでした。5歳くらいの頃、東京見物に出かけて上野動物園に行きました。動物の写真集を買ってもらって、すごくうれしかったことをよく覚えています。7歳くらいになると、父が大きなカンバスをくれて、油絵の具で描くことも覚えました。油絵は、今も描き続けています。

中学生の時、父が庭のクルミの木にいる毛虫を見つけて、「これを観察してみないか」と言いました。父は本業の医者のかたわら、いろいろな趣味があり、フランス製のカメラで映画を撮ったり、油絵を描いたりと芸術肌の人でした。でも本当は、実家の開業医を継がなければ、大学で微生物学の研究を続けたかったんだそうです。私が昆虫採集を始めたので、自分も興味を持ったのでしょう。いろいろな幼虫の観察記録を2人でつけることになり、これが父との「交換日記」になりました。父はさすがに観察力が違います。今思えば父は、自分も観察を楽しみながら、私を「研究者」に導いていたのかもしれません。

「大芸術家でなければ、科学者になれ」

観察記録がまとまると、地元の昆虫同好会に報告です。そこで、日本の蝶の生活史を網羅した本を紹介されました。自分の観察した種はもちろんそこに掲載されているのですが、生活史が未だ不明な種もたくさんあることを知りました。「この神秘蝶の初探求者は誰だろうか」というような記述があり、誰もやっていないことをやることに価値があるんだと、わくわくしました。これが、研究のオリジナリティーにこだわる私の研究スタイルの始まりだったかもしれません。中学時代は、オオゴマシジミ、スギタニルリシジミ、ベニヒカゲといった「神秘蝶」の飼育に夢中になり、昆虫愛好家の研究会報に論文を投稿しました。

昆虫の絵を描くのもますます上達し、ある時父に、将来は図鑑の挿絵画家になりたいと言ったんです。そうしたら、「絵を描くのなら、ピカソくらいの大芸術家になれ」と反対されました。挿絵は専門家の指示に従って描かなければいけないから、絵描きとしては中途半端だというのです。そのかわり、「なるんだったら、科学者になれ」と。でもどういうわけか、アインシュタインのような大科学者になれとまでは言わなかったですね。それなら、好きな生物学に進もうと金沢大学理学部の生物学科に進学しましたが、その頃はまだ研究者になろうとは思っていませんでした。

蝶からハエ、そして大腸菌へ

大学4年生の時、外国からの招待研究者による、分子遺伝学の特別講義ありました。遺伝現象を分子レベルで解明する分子生物学の登場を知り、これは面白いと思いましたね。卒業研究で蝶の鱗粉の色素合成に取り組んでいましたが、大学院は遺伝学の講座がある大阪大学に進みました。

遺伝学講座の教授の吉川秀男先生は、第二次大戦中に愛知県の蚕糸試験所で、一遺伝子一酵素説を独自に打ち立てられた著名な方です。大阪大学では医学部と理学部の両方で大学院を担当されており、研究材料ごとにバクテリア、ショウジョウバエ、イエバエの3つのグループを率いていました。昆虫好きの私はまずイエバエのグループに入り、吉川先生に「蝶では、蛹の時に色素が合成された翅の模様ができます。もっと遡って、受精卵からどうやってパターンが生まれるのか知りたい」と希望を伝えました。しかし、今はまだ遺伝子とそれが作る酵素の対応を解明する段階で、現実的な研究テーマではないと諭されてしまいました。それなら昆虫にこだわらず、バクテリアで遺伝子研究をしようと思いました。これが、その後ずっと続く私の大腸菌研究の始まりです。

大学院の途中、京都大学医学部に内地留学し、医化学講座の助教授だった杉野幸夫先生から生化学の手ほどきを受けました。医化学講座はウイルス研究所の化学部門と合同でランチセミナーを開催しており、私も時々発表させてもらいました。それが縁となったのでしょう。博士号を取得後、化学部門の助手に採用されました。助教授の由良隆さんが解明を進めていたトリプトファンオペロンの調節機構が、ウイルス研究所での最初のテーマでした。

バクテリアの遺伝子発現を制御するオペロンの仕組みを解明することは、当時の分子生物学の大きなテーマでした。由良さんは生化学的手法で挑み、私は、オペロンの制御配列(オペレーター領域)の変異株を分離する遺伝学的解析です。並行して、トリプトファンオペロンのmRNAの解析を行うため家族と共に渡米し、スタンフォード大学のCharles Yanofsky 博士の研究室で特別研究員として研究しました。アメリカ留学で思い知ったのは、新しい学問分野を作った人が非常に尊敬され、オリジナルな研究をしないと認められない、ということです。分野が確立した後に参加するだけでは、研究者としては埋没してしまいます。自分もオペロン研究以外に、誰も行っていない、新しいことをやろうという意欲が湧いてきました。

バクテリアのセックスに迫る

帰国後、自分が取り組むべきテーマを探して試行錯誤しました。たどり着いたのが、大腸菌の接合伝達の解析です。細胞どうしの接触により遺伝情報が伝わる「接合」は、有性生殖の起源ともいえる生命の基本現象の一つです。大腸菌は細胞内に、染色体DNAとは独立して複製するプラスミドという環状のDNAを持ちます。このうちFと呼ばれるプラスミドは、大腸菌の性決定因子としてはたらくことが知られており、Fプラスミドを持つF細胞からFプラスミドを持たないF?細胞に接合すると、FプラスミドDNAの片側の1本鎖のみが伝達されます。するとF?細胞内で相補鎖が合成され、以後は2本鎖DNAとして自律的に増殖し、F?細胞がF細胞へと「性転換」するのです。ただしこの現象には例外があり、Fプラスミドがあらかじめ染色体DNAに組み込まれた大腸菌(Hfr細胞:high frequency recombination)には、Fプラスミドが伝達しません。この現象は「immunity」と呼ばれ、そもそもFプラスミドがHfr細胞内に入っていかないのか、それとも入っても何らかの理由で複製されないのかわかっていませんでした。

私は、Hfr細胞に伝達されたFプラスミドが受容細胞の中で1本鎖のままなのか、それとも2本鎖に合成されているかを調べる手法を考えました。ここで役に立ったのが、温度感受性変異体を集めている時にたまたま見つけていた、チミジンキナーゼの欠損株です。この変異株は、培地に添加した[3H]チミジンをDNAに取り込むことができないため、細胞内のDNAが[3H]チミジンで標識されません。したがって、野生型のF細胞と、欠損変異のHfr細胞を[3H]チミジン存在下で同時に培養すると、F細胞で合成されたDNAだけが標識されることになります。さっそく、[3H]チミジン存在下でこれらの細胞を接合させた後に、Hfr細胞が持つFプラスミドを調べたところ、[3H]チミジン標識されたDNAは1本鎖ではなく環状2本鎖であることがわかりました。これは、野生型のF細胞内で[3H]チミジン標識されたFプラスミドが1本鎖として伝達された後、Hfr細胞内で相補鎖が合成されたことを意味します。すなわちimmunityとは、相補鎖が合成されるところまでは正常で、その後の複製が何らかの理由で阻害される現象だと判明しました。

ずっと後になってからですが、受容細胞内で相補鎖が合成され2本鎖になったFプラスミドを可視化する実験をパリ大学の研究者と共同で行いました。その論文がScience誌に掲載されたのは、Joshua Lederberg博士がFプラスミドを発見してからちょうど50年目の2003年。『バクテリアのセックス:50年後の覗き見』(Bacterial Sex: Playing Voyeurs 50 Years Later)というちょっとスキャンダラス(?)な論文の題名にしました。研究の合間のこんな遊びも、科学の醍醐味です。

複製起点を集めるアイデア

Fプラスミドの研究は、次の大きなテーマである大腸菌の複製起点発見のきっかけになりました。生化学の問題としてDNA複製という現象を捉えると、1本鎖DNAを鋳型にしてDNAポリメラーゼが2本鎖DNAを作る酵素反応と言えます。これらに関わる酵素は、スタンフォード大学のArthur Kornberg 博士らのグループによってほぼ明らかにされ、実際に試験管内で1本鎖DNAから2本鎖DNAを作ることに成功していました。しかし、生きた細胞の中でDNA複製が開始されるメカニズムはまだ不明でした。

大腸菌の染色体DNAは470万塩基対の長さがありますが、複製が始まる領域(複製起点)はどうやら1箇所だけらしいと予測されていました。複製起点で何が起きているのかを生化学的に解析するためには、酵素を集めるだけではなく、複製起点のDNAを大量に集めることが必須であると私は考えました。染色体の複製起点を持つDNAを小さな環状プラスミドとして分離できれば良いのですが、当時誰もこのようなプラスミドが細胞内で増殖できるとは考えていませんでした。なぜなら、同じ仕組みで複製を行うプラスミドは同時に同じ細胞の中で存在できない「不和合性」という現象が知られていたからです。

しかし私は、もっと基本的な事実から仮説を立てました。大腸菌を栄養豊富な培地で増殖させたときには、1個の細胞の中でDNA複製が終了する前に、次の複製が始まることが知られていました。少なくともこのような増殖条件では、複製開始に必要なタンパク質は十分に存在し、最初に複製された2つの複製起点に同時に作用しているはずです。ならば、大腸菌の染色体と同じ複製起点を持つプラスミドが大腸菌の中で増殖できないと決めつけるのは早計です。

ここで先ほどのHfr細胞が再び登場します。Hfr細胞に組み込まれたFプラスミドは、しばしば周辺の染色体DNAを取り込んだ形でもう一度プラスミド化することがあります。こうしてできたプラスミドを、F’(Fプライム)プラスミドといいます。もし大腸菌の複製起点を取り込んだF’ プラスミドがあれば、「immunity」を免れてHfr細胞内でも複製できるはずです。この実験のアイデアが浮かんだのはクリスマスイブにワインを飲んでいる時で、さっそく翌日から実験を始め、正月休みが明けて皆が研究室に出勤してきたときには、すでに目的の菌株を多数分離することに成功していました。さらに、F’プラスミドに組み込まれた複製起点近傍の遺伝子を解析することによって、大腸菌の染色体上のどの位置に複製起点があるのかもわかってきました。私は論文で、染色体の複製起点の遺伝子記号として、oriC (origin of chromosome)を使おうと提案しました。oriCの発見が契機となり、世界の多くの研究者が、他の細菌における染色体の複製起点の分離を始め、のちには真核生物である酵母の染色体の複製起点(ARS、autonomous replication sequence)の分離の研究へと発展していったのです。

複製の終わったDNAを分配する未知のメカニズム

複製起点の発見は、細胞内のDNA複製制御という新たな研究テーマを生み出しました。他の研究者は私が、oriCから始まるDNA複製の詳細な解析を進めると思ったようです。しかし、oriC研究を次に発展させるのは生化学者であり、私が今から複製酵素の研究に取り組んでも、太刀打ちできないだろうことは自分がよくわかっていました。それよりも私は別の、もっと面白い、誰もやっていないことを探すのが性に合っています。

実はFプラスミドDNAを持たないoriCプラスミド(oriC DNA領域とアンピシリン耐性遺伝子のみのプラスミド)には、遺伝学的に不思議な特徴がありました。oriCプラスミドは確かに細胞内で複製できるのですが、細胞増殖の過程で失われることが多く、安定に維持されないのです。一方、Fプラスミドに由来するミニFプラスミド(接合伝達に必要なDNA領域を欠失した小さなFプラスミド)は、細胞内のコピー数が1?2個しか無いのに安定に子孫の細胞に保持されます。ミニFプラスミドには、細胞が分裂する時に2つの娘細胞にプラスミドDNAを等分に分配する未知の機構が存在するに違いありません。しかしoriCプラスミドはそのような機構を持っていないので、不安定なのではないかと推測しました。生命の存続にとって、染色体が娘細胞に正しく分配されることは必須の条件です。ミニFプラスミドを手掛かりに、DNA分配の仕組みを追うことにしました。

ミニFプラスミドを断片化してoriCプラスミドに挿入すると、ある領域が組み込まれたoriCプラスミドは安定に子孫細胞に保持されるようになりました。一方、このDNA 領域を失ったミニFプラスミドは不安定になったのです。このDNA領域を調べると、タンパク質をコードする2つの遺伝子と、プラスミドの中に存在しないと機能しない(シス位置でのみ分配に関与する)不思議なDNA領域があることを見出しました。これらは、stability of plasmidの頭文字をとってそれぞれ、sopAsopBsopC と名付けました。細胞分裂の際に、両方の娘細胞に均等にミニFプラスミド分子を分配するのはsopのはたらきであり、oriCでないことがはっきりしました。また新しい分子機構を発見したと、嬉しかったですね。しかもDNA複製と違って、分配に関与するタンパク質はまだ誰も手をつけていません。

熊本大学に移ってから、2つの遺伝子がコードするタンパク質(SopA・SopB)を精製し、SopBがDNAのsopC領域に結合することや、SopAはsopABオペロンの発現を調節するリプレッサーとしてはたらくことなどを突き止めました。ではこれらの役者は、どうやってプラスミドを正しく分配させるのでしょうか? 未知の分野である分配機構の研究を始める際に危惧していたことは、大腸菌のプラスミドやタンパク質の細胞内位置を観察する技術が無かったことです。しかし、その後私たちはこの技術の開発に成功し、大腸菌の研究の中で最も遅れていたこの分野の発展に貢献することができました。

細胞内にある特定のDNAを可視化する方法として、調べたい配列を持つDNA断片を蛍光物質で標識し、固定した細胞のDNAと相補鎖形成させて蛍光顕微鏡で観察するFISH法(fluorescence in situ hybridization)があります。私たちはこのFISH法を世界で初めて大腸菌に応用し、酸で固定した細胞の中にFプラスミドが蛍光焦点として観察することができました。さまざまな分裂状態の大腸菌の画像を統計的に解析すると、蛍光焦点が1個の場合にはその蛍光焦点は桿状の細胞の中央に存在しており、蛍光焦点が2個の場合は、それぞれ細胞長の1/4と3/4の位置に存在していることが明らかになりました。一方、分配機構を持たないミニFプラスミドの場合は、蛍光焦点が染色体(核様体)に押しやられて細胞の端っこに存在していました 。すなわち、分配機構はプラスミドDNA分子を、細胞の長さに対して1/3と3/4の位置に置く機構であると言えます。その結果、細胞の中央で細胞分裂が起こるとプラスミドは、それぞれ娘細胞におのずと分配されるのです。それでは、どのようなメカニズムでプラスミドは細胞内の規則的な位置に配置されるのでしょうか。プラスミド中のsopC領域が重要であることはもちろんですが、この機構を明らかにするためには、SopAやSopBタンパク質の細胞内位置を観察する技術の開発が必須です。

生物の愛した数式

それまでの免疫蛍光顕微鏡法では、大腸菌の細胞壁を蛍光抗体が通過できないので、大腸菌細胞内のタンパク質を染色することができませんでした。私たちは、細胞壁を溶かす酵素で大腸菌を前処理することにより、細胞内タンパク質を免疫蛍光顕微鏡法で観察することを可能にしました。2002年に私は熊本大学を定年退職しましたが、京都大学の非常勤研究員として、大学院生とともにSopAとSopBの研究を続けました。詳細な観察を行ったところ。両タンパク質とも複数の蛍光焦点として観察できることから、タンパク質の集合が局在していることがわかりました。特にSopBの蛍光焦点の数は細胞の長さに比例して増加し、ほぼ等間隔で分布していました。 sopC DNA領域にはSopBが結合するサイトが11個あることがわかったので、強い蛍光焦点はSopBがプラスミドに多数結合した結果と予想したところ、実際にSopBとプラスミドの局在は多くの場合重なっていました。

大腸菌の小さな細胞が伸びたり分裂したりするあいだ、SopBタンパク質の局在位置が等間隔に維持できるのはなぜなのでしょうか。ヒントは意外なところにありました。魚の縞やヒョウの斑紋など、動物の体表面にはしばしばパターンを持った模様がみられます。これは、模様を作る設計図があらかじめ用意されているのではなく、色を作る分子どうしが局所的に相互作用した結果、全体として規則的なパターンが自律的に生じたためと考えられています。数理生物学では、このような自律的なパターン形成は、拡散速度の異なる2つの分子が相互作用する『反応拡散系』が成立した時に起きることが証明されています。SopAとSopBが反応拡散系を構成すると仮定してそれぞれの性質を数値化し、「反応拡散方程式」をコンピュータで解いてみると、SopBの高濃度のピークは細胞長の増加に伴って分離し、等間隔を維持しつつピーク数が増加することを説明できました。Fプラスミドの分配機構の発見からこの結論にたどり着くまでに、23年がたちました。私は複雑な数学は苦手なのですが、大学院生が頑張ってくれたおかげです。

この研究を一般の方に伝えるとき、映画にもなった小説のタイトル『博士の愛した数式』(小川洋子作)をもじって、『生物が愛した数式』と反応拡散方程式を紹介しています。大腸菌でさえもこの数式を愛していたのですから驚きです。大学院生のとき、蝶の翅の模様ができる仕組みを遺伝子で解きたいと思いつつ、大腸菌の研究を選びました。しかし大腸菌の分子のパターンですら、遺伝子の解析だけでは説明できず数学の威力を借りることになったわけで、生物研究の奥深さを感じます。

利己的なプラスミド

SopAとSopBはプラスミドを均等に分配することで、プラスミドを持つ細胞が大腸菌集団で増える仕組みです。これとは逆に、プラスミドを持たない細胞を殺すことで、結果的にプラスミドを持つ細胞のみが増殖する機構があることもわかりました。これには、CcdAとCcdBという2つのタンパク質が関与しています。

CcdBは大腸菌に対して強い毒性を持つタンパク質です。一方、CcdAはCcdBに結合してCcdBの毒性を中和するタンパク質です。 Fプラスミドを持つ細胞ではこの両者が作られているので毒性は発揮されませんが、もし何らかの理由でプラスミドを持たない娘細胞が出現した場合にはこの細胞内ではもはやこれらのタンパク質は生産されません。そしてCcdAの方が壊れやすいため、残されたCcdBの毒性が現れて、細胞が2?3回分裂するうちに死んでしまうのです。この機構によってFプラスミドを持つ娘細胞の方だけが増殖することができ、プラスミドにとっての『利己的な機構』といえるでしょう。

その後、九州大学の研究グループが、CcdBは大腸菌のDNAジャイレースに結合して失活させて細胞を殺すことを証明しました。そして外国のグループによってCcdAを壊すタンパク質分解酵素も明らかになりました。

自然界から分離された他の多くのプラスミドでも、このような毒性のあるタンパク質とそれを中和するタンパク質の1対の機構が次々と発見されて、これらの機構はまとめて「post-segregational killing」または「programming death」、「plasmid addiction」の機構などと呼ばれるようになりました。そして私たちが発見したFプラスミドの分配機構とCcd機構は、外国の薬品メーカーから売り出されたDNA組換え実験用ベクタープラスミドにも応用されています。

mukaku遺伝子の謎

熊本大学にいる間、Fプラスミドの分配機構を研究する一方で、大腸菌の染色体の分配機構にも興味を持っていました。大腸菌の染色体DNAは、長さは1,300μmで環状をしていますが、これが2?4μmの小さな細胞の中に折りたたまれて核様体として存在しています。しかも細胞分裂の際には、染色体DNAは複製起点oriCから2方向に複製を開始し、それぞれ正確に娘細胞に分配されます。私たちは1985年に熊本大学大学院医学研究科の新部門でこの分配機構についても研究を始めました。

最初に行ったことは、染色体の分配が異常になった変異株を分離することでした。染色体の分配が異常になるということは、染色体を持たない細胞(無核細胞)が出現するということです。このような変異株を分離するために、無核細胞を観察するための新しい顕微鏡法を開発しました。DNAに結合する青白い蛍光物質 (DAPI)で細胞を染色して、それを蛍光顕微鏡法と位相差顕微鏡法の両方で同時に観察する方法です。オレンジ色の背景に無核細胞は真っ黒に見え、一方核様体を持つ細胞では核様体が青白い蛍光で輝いて見える方法です。「平賀の蛍光位相差顕微鏡法(Hiraga’s fluophase combined method)」と名付けたこの技術は「コロンブスの卵」的な発見で、その後、多くの研究者によってバクテリアの研究で使われることになりました。

こうして無核細胞を放出する変異株を分離し、原因遺伝子を解析した結果、170キロダルトンの巨大なタンパク質をコードする新しい遺伝子を発見しました。mukBmukaku B)と名付けました(1991)。この遺伝子名は、日本語の「MUKAKU」(無核)に由来します。MukBタンパク質は、細長いひも状構造の両端に球状構造があり、ひもの中心で蝶番のように折れ曲り2つの球が接する形になっていました。また、mukB遺伝子の上流にある2つの遺伝子をそれぞれ欠失させると、mukB変異株と同様に無核細胞を頻繁に放出することが分かり、これらの遺伝子をmukEmukFと名付けました。またmukB遺伝子の下流には未知のトポイソメラーゼのサブユニットをコードする遺伝子があることを発見して、トポイソメラーゼIVと名付けました。このトポイソメラーゼが失活すると姉妹染色体の分離が起こらなくなりました。

私たちは、生化学的研究からMukBタンパク質の2量体にMukFとMukEがそれぞれ4分子結合した巨大なMukBEF複合体の構造を明らかにし、生物分子工学研究所との電子顕微鏡による共同研究でそれを確認しました。また、京都大学理学部物理の研究グループとの共同研究では、MukBEF複合体が水溶液中の長い直鎖DNAの塊をATP存在下で収縮させることを証明しました。

大腸菌におけるMukB発見の数年後に、他の研究グループによって枯草菌などの他の細菌や真核細胞でもMukBに機能や形態が似たSMC(structural maintenance of chromosomes)タンパク質が発見されました。しかし大腸菌のMukBと古細菌のSMCの球状構造のアミノ酸配列は異なり、大腸菌に近縁の腸内細菌群ではMukBEFのホモログが発見されましたが、他の細菌では枯草菌SMCのホモログが見つかります。細菌の進化の過程で、腸内細菌群は特殊な進化をしたようです。

膜とDNAの意外な関係

染色体分配に関与するタンパク質の機能は少しずつ分かってきましたが、分配機構の全体像を明らかにすることはなかなか難しい状態が続いていました。
しかしその後、意外な新事実により新たな展開が期待される状態になりました。膜タンパク質の膜透過に関わるSecA (Secretion A)・SecY (Secretion Y)とAcpP (Acyl carrier protein P) が失活すると、染色体の分配に異常が起こることを発見したのです。

SecYは細胞膜の透過口を構成するタンパク質であり、SecAは合成中の膜タンパク質をその透過口へ導くタンパク質です。 AcpPは種々のタンパク質をアシル化することに働きますし、MukBとも結合します。これらの3種のタンパク質は、MukB・トポイソメラーゼ IV・DNAジャイレース・SeqA(Sequestration A)などと物理的結合が知られていました。

コピー数の多いプラスミドの環状DNAの形態を2次元電気泳動で解析すると、SecAが失活する条件ではプラスミドの超らせん数が減少し、さらにプラスミド分子同士が連鎖したものが非常に多くなりました。同じような現象が起こるのはMukBとDNAジャイレースを同時に失活させたときです。このことはSecAがDNAジャイレースとMukBの活性化に関与していることを示唆しています。DNAジャイレースだけを失活させたときには超らせん数が減少し、プラスミド分子同士が連鎖したものが多くなりました。MukBだけが失活した条件下では超らせん数には影響はでませんが、プラスミド分子同士が連鎖したものが非常に多くなりました。これはDNAジャイレースが持つプラスミド分子同士の連鎖を解除する活性をMukBが助けていることを示唆しているものと思われます。一方、トポイソメラーゼ IVの失活条件では超らせん数が増加しましたが、プラスミド分子同士の連鎖には影響がみられませんでした。

これらの一群のタンパク質にGFPを結合して細胞内の分布が時間経過に伴ってどのように変化するかを連続撮影実験で観察しました。これらのタンパク質は細胞内に濃淡のある分布をしており、その分布パターンは短時間に動的に変化することが分かりました。そしてこの動的変化にSecA・SecY・AcpPが関与していることが明らかになりました。どうやら、多数のタンパク質が関与して互いに相互作用し合い、細胞内移動をしながら姉妹染色体の分配を行っている未知の複雑な機構が存在するようです。このような複雑系の研究は今まで大腸菌ではなかったのではないでしょうか。精製した個々のタンパク質の生化学的な研究だけでは解明できない問題で、新しい研究方法の導入が必要です。今後、私たちの研究結果を追試し、さらに発展させてくれる研究者が世界のどこかに現れることを期待しています。

研究テーマをどう選択するか

大腸菌のプラスミドや染色体DNAの分配機構の研究を始めたとき、この分野にはほとんど研究者がいませんでした。だからこそ、私はオリジナリティーのある研究がやりたくてこのテーマを選んだのです。当時バクテリアではDNAやタンパク質の細胞内分布を調べる方法がなかったので不安を感じてはいましたが、いずれ新しい実験方法が見つかり解決するだろうと楽観して、自分が得意とする遺伝的研究方法で研究を始めたのです。そして最初のうちはほぼ独走体勢で研究を続けることができました。海外の学会から招待講演を依頼されたら、まだ論文にしていない最新の研究結果を話すんです。だから、Hiragaを呼べば必ず新しいことを話すと毎年招待されるようになりました。

いくらオリジナリティの高い研究だと言っても、だれも興味を示さない研究なら寂しいものですが、幸いなことに20年30年と経つうちに世界の研究者が多数参入してきて、バクテリアにおける分子細胞生物学ともいえる一大研究分野に発展しました。一人の人間が一生にできることはそう多くはありません。私は、自分の持ち味を発揮できる研究テーマを探り当てて、そこに特化していく覚悟で研究を続けてきました。そして現在、その目的は達成できたのではないかと考えています。

大学を定年退官する頃、生まれ育った六日町の中学校の先生たちが本を編集してくれた。その出版記念講演会を引き受けたら非常に受けが良く、自分で本にまとめてしまった。