京都大学 ウイルス・再生医科学研究所

平成30年7月3日に京都大学楽友会館で京都大学ウイルス・再生医科学研究所 第4回 生命情報研究会を開催しました。

講演の内容を以下にまとめました。それぞれ生命医科学における事象解明の新たな取組みであり、たいへん有意義な研究会でした。6人の講演者の方々に感謝いたします。

 

「リポクオリティが解き明かす生命現象」

慶応大学 有田  誠 博士

エネルギー源、生体構成成分、シグナル伝達分子にそれぞれになりうる脂質分子の構造多様性は、10万種以上ともいわれる。それらの生物学的な意義を解明するリピドミクス技術とその解析結果の具体例について紹介された。脂肪酸種ごとのクオリティやそのバランスは疾患の発生に影響することはよく知られており、その解析は生命秩序を理解するうえできわめて重要である。生体内の脂質分子に関して10,000種以上の分子種解析を網羅的に行うノンターゲット解析を通じて新規の脂質分子の発見、ならびに、これらの解析から蓄積されつつあるデータベースの構築が着々と進んでいる。本解析の一例として、講演の最後に生後1週間の新生児糞便中の脂肪代謝プログラムの変動に関する解析結果が紹介された。

 

「大脳皮質の自発揺らぎとネットワーク構造」

京都大学 寺前 順之介 博士

神経科学において長年の謎である大脳皮質における自発発火活動の生成・持続メカニズムと神経回路におけるその機能解析の結果が紹介された。神経細胞間の電気信号伝達ネットワークのシミュレーション解析から、ごく一部の結合強度が高い神経細胞の発火によって不規則で低頻度の自発発火活動は継続され、さらにそれによってシグナル伝達性が安定化することがわかった。すなわち、弱い揺らぎは情報伝達の最適化に関わることがわかった。一方、この揺らぎが同調すると、神経ネットワーク全体に過度の同期が生ずるてんかん発作様神経活動に至ることもわかった。弱い揺らぎが神経ネットワークの不必要な同期の予防に役立っているという解析結果である。複雑な神経細胞ネットワークの仕組みの一端が明らかになりつつある。

 

「リボソームプロファイリングのコツ」

理化学研究所 岩崎 信太郎 博士

タンパク質の合成工場であるリボソーム特異的mRNAプロファイリングについての講演である。ゲノムDNAが転写、そして、翻訳され、その情報に基づいてタンパク質が合成されることは生命科学の基本中の基本である。それぞれの分子生成プロセスについての解析研究は広く行われている。しかしながら、mRNAからタンパク質への翻訳過程については、いまだ未解明な点が多い。例えば、近年の網羅的RNA-seq解析から抽出される発現プロファイルとプロテオミクス解析によってはじめてわかる実際のタンパク質発現プロファイルとの相関性は30~40%といわれることより、現在よく行われているRNA-seq解析の信頼性については満足のいく状況ではない。そこで固定化リボソームから抽出したmRNAを次世代シークエンサーにより解析することにより、タンパク質翻訳中のリボソーム結合性mRNA量を特異的に計測するリボソームプロファイリングを行えば、タンパク質発現プロファイルとの相関性が改善されることを想定した。さらに、mRNAからタンパク質への翻訳過程におけるフレームシフト、リードスルー、複数の翻訳開始コドンなどの複雑性も解析可能であり、タンパク質翻訳の多様性の解明に直結する研究成果である。

 

「ネットワーク構造が作る化学反応システムの分岐とモジュラー性」

京都大学 望月 敦史 博士

生細胞内では多数の化学反応ネットワークが作動しており、このネットワーク内の化学物質のダイナミクスが、その細胞内の細胞機能を担うといえる。例えば、新たな外来環境に対する細胞挙動の適応現象は、ネットワークのダイナミクスの分岐に由来する(分岐挙動)と想定される。望月氏は、化学反応ネットワークの構造情報だけから、化学反応システムの摂動に対する応答予測、さらには定常解の分岐解析が可能であることを見出した。ここで氏が発見したのは、反応ネットワークは摂動に対する緩衝構造と呼ばれる部分構造を持つということである。緩衝構造は化学反応ネットワークの摂動応答の範囲を定め、入れ子状に組み合わさり全体のネットワークを構成している。さらに驚くべきことにこの緩衝構造がネットワークの定常状態の分岐の単位となることが示された。化学反応ネットワークに存在するこの緩衝構造が生命システムのロバストネスを生み出しているのかもしれない。

 

「ヒトのゲノム配列の解析」

京都大学 藤本 明洋 博士

ヒトのがん組織とそのゲノムに生じた突然変異出現との関係性についての網羅的解析結果が紹介された。次世代シーケンサーの登場により、ヒトゲノム解析がきわめて高精度に行えるようになった。藤本氏は、これまでの本邦におけるがん組織の大規模全ゲノムシーケンス解析の中心的役割を担い、実際のがん患者組織に点突然変異、塩基挿入・欠失、遺伝子コピー数の増加、細胞分裂に関するゲノムの構造異常、テロメア近傍の遺伝子領域に種々の突然変異を見出してきた。そして、これからのヒトゲノム解析は、がんの発生・進展を促すドライバー遺伝子の解明に展開することが紹介された。また、突然変異によるタンパク質構造異常が起こっているような例では、特定の遺伝子群の発現量についても変化しているということもわかってきている。藤本氏のおはなしから、ゲノム解析が今後の生命科学研究にもたらすインパクトを体感し、たいへん刺激的な講演であった。

 

「幹細胞の運命制御とがん進行の分子基盤」

ジョージア大学 伊藤 貴浩 博士

がん幹細胞に見いだされる細胞分化からの逃避分子機構について、慢性骨髄性白血病(CML)モデルを用いた研究成果が紹介された。染色体転座産物であるBCR-ABL1の異常発現ががん化の原因であるCMLでは、その悪性転化に伴って、細胞分化因子Numbの発現量が低下すること、細胞質型の分枝鎖アミノ酸アミノ基転移酵素をコードするBCAT1の発現が亢進すること、造血細胞に発現するRNA結合タンパク質Musashi2はNumb発現を低下させ細胞の未分化性を維持するとともにBCAT1発現を増加させることを見出した。BCAT1は分枝鎖ケト酸とグルタミン酸から分枝鎖アミノ酸とα-ケトグルタル酸を合成あるいは分解する反応を両方向に触媒する酵素であるが、CMLでは正常細胞に比べ分枝鎖アミノ酸とα-ケトグルタル酸の合成に働き、BCAT1という酵素の局在によるアミノ酸代謝の変動が白血病幹細胞の分化に与える影響も紹介された。そして、BCAT1の阻害薬投与により悪性転化が阻害され、がん化した幹細胞であっても分化能の誘導によりがん細胞が消失すること、これらのがん幹細胞の分化抑制機構が他のがん種にみられる可能性など興味深い内容であった。

 

写真:討論中の望月敦史博士(右)と伊藤貴浩博士(左)